満 エッセイ集

本サイトは子育て支えあいネットワーク満です。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
 前回分を書いた後に、虐待について取り上げたテレビ番組を見た。出演していた人の中に、「結婚して新しい家庭、家族があるのに、私は過去を生きている。」と言っている人がいて、私もその人と全く同じだ・・・と思った。前向きに生きて行きたいと、このエッセイの中で何度も書いたが、私はなぜか前向きに生きている感じがしない。子どもが生まれて親の立場になったのに、自分の記憶をたどりながら育児をやっていると、私は全然今を生きていなくて過去を繰り返しているだけのような気がする。自分の生い立ちに問題がある上、息子は育てにくい子ども・・・一時期は本当に毎日が苦しくて、気づかないうちにいつも自分と同じ目に合わせてしまっていた。自分自身が親に怒鳴られ、叩かれ、蹴られてきたので、見る人が見れば虐待だと言われてしまうこの行為も、自分の中では体に残る傷をつけていないから虐待だとは思わなかった。だからこのままではダメだと思いながらも、保育園の先生に言われるまでやめようとはしなかった。私がやっていたことは、厳しいしつけではなく虐待だった。
 子どもを出産する前は、「子どもなんてご飯食べさせていたら勝手に育つ。」なんてバカにして考えていて、親になる心構えも何もなかった。自分がそうだったから本気で思っていたのだが、違うと知った時に「自分は愛情も何も知らず育ってきたんだ・・・。」と気づいて悲しくなった。思えば20代の頃は、「結婚したら子どもは2人欲しいな〜。」なんて妄想を膨らませていたが、こんな私では一人の子育てもするべきでなかったのかもしれない。私は親になるための土台ができていなかったから。でも今、私には一人息子がいて、当たり前だが育てる責任がある。 
 テレビ番組の最後に、「自分のストレスに次世代(子ども)を巻き込まない。」と言っていた。では、自分のストレスをどう発散すれば良いのかまでは誰も言わなかったが、母親という立場を頑張りすぎないことが、今の私にできることかな?私、中身は子どものままですから。                                                       
(緑:小3男児の母)
 前に、私が息子に厳しいしつけを繰り返していた事を書いた。それをやめようと決めて実行してから3年になるが、たまにカッとなって我を忘れ、怒鳴ってしまったり手を上げてしまったりする事がある。これからもカッとなった時に、自分を抑制できるのか心配になる。
 最近、何でもない時にふと息子に、「大きな声で怒鳴られるのは嫌だ。」というような事を言われた。私は少し驚いたが、自分の気持ちを言葉で伝えてくれる事が嬉しかった。私も自分の両親に「ケンカしないで」とか「怒鳴らないで」と言える状況だったら、少しは私の人生も良くなってたかなぁ・・・なんて思ってしまった。でも、息子に言われても言われなくても、もうあのような事は繰り返してはならない。私の両親が、「若かったから子育ては必死だった。」とよく言っていたが、親になる年齢は関係ないし、必死だから怒鳴って手を上げていいものでもない。怒鳴って叩いて叱っても、子どもは何も学習しない。私自身がそうだった。父親に叱られる度、「何で怒られたかわかるか?」と聞かれたが、いつも心の中で、「お父さんがイライラしてるだけ。」と思っていた。そう言うとまた怒鳴られるので、適当に父が納得するような答えを考えていた。こんな感じでいつも私は父親に抑えつけられていたので、今でも人前で自分の意見を堂々と言えない人間になってしまった。自分の息子まで、私のようには育ってほしくない。
 怒鳴らない、手を上げないと決めて実行に移すのは、難しくはなかった。でも、そんなに人間は簡単に変われるものではない。私は自分の気持ちを抑え、穏やかに保つため無理をしていると思う。心の奥底には、自分が親から受けた数々の体罰の記憶が眠っている。今さら親を恨んでも仕方がないが、恨んでいる部分もある。たまに息子のダメなところや気に入らないところを見てしまうと、抑えているものが爆発してしまう。結局、自分の親と同じことをしてしまっているんだ・・・と後で後悔している私・・・情けない。
 これからも私は過去の記憶と闘いながら子育てをしていかなければならないが、いつまでも過去にばかりとらわれず前を向いて生きていきたい。そして、怒鳴ったり手を上げたりせず、息子とは良い親子関係を築いていけたらいいなと思う。 

                                                         (緑:小3男児の母)
夏休み前は、私が嫌いな面談の時期。以前ほどではないが、やはり気が重い。
最近の息子は、学校の自転車教室で補助輪なしの自転車を先生に支えてもらって乗り、その日の帰宅後に自分から練習すると言ってすぐに乗れるようになった。今まで私は息子に無理やり練習させず、乗れないまま放置してあきらめていたので嬉しかった。先生にはありがたい気持ちでいっぱいだなぁ・・・そんな事を考えながら面談へ行った。
学校での息子は、授業への意欲的な態度はほとんどなく、テストでわからなかったところに「しらん」と書き、宿題をごまかしてやっていないところが多々あり、勉強ができない訳ではないのに先生への印象は悪い。でも、「先生のお手伝い係」としてほぼ毎朝職員室へ行き、仕事がないか先生に尋ねていたらしい。そんな一面もあるんだなぁと感心した。
話をしていく中で、先生に医師から発達障害の診断を受けているのか聞かれたが、私の答えは、「受けていません。」だ。そういえば最初に息子の話をした時に、そういった内容を伝えていなかったかも・・・。先生には診断を受けた方がいいと言われた。学校にとっては診断名が明確であった方が都合がいいのはわかっているが、最後まで素直に返事をできず面談は終わった。
過去に発達検査、知能検査、心理検査などを受けて、アスペルガー症候群とADHD(注意欠陥多動性障害)ではないかという事がわかったが、私はそれを受け止めるだけで精一杯だった。総合教育センターで心理検査を受けた後に相談員から、「病院へいって診断を受けた方がいい。」と言われたが、医師の診断を受けている人の話で、「周りに理解してもらって、いろんな支援を得られて良かった。」というのを全く聞いたことがないし、診断を受けても知能に遅れがないので障害者手帳はもらえない・・・だったら何のための診断名なのかと思うと、私はとても行く気持ちにはなれなかった。診断名だけで息子を判断され、偏見を持たれるのは絶対に嫌だったし後悔するだけだと思った。医師の診断を受けても学校の先生や周囲の人に息子の特性を説明するのは、これからも私がやらなければならないし、誰も助けてはくれない。
こんな事を書いていると、「本当は障害だと言われることが怖いから行かないんでしょう?」と思う人がいると思う。その通り、怖いです。私にも息子と同じようなところがあるので、私のせいで息子がこんな風に生まれてきた事に責任を感じながら、診断名まで背負って息子と一緒に生きていけるのか・・・息子の問題点を全て障害のせいにしてしまわないか・・・私自身の息子を見る目が変わってしまわないか・・・こんな事を考えて毎日を過ごすぐらいなら、今の曖昧なままの方がよっぽどいい。だからこのエッセイのタイトルには、「!?」を付けた。
発達障害は見えない障害とも言われ、誤解も多く周囲の理解はなかなか進まない。私も今まで、いろんな人に息子が発達障害であるのはほぼ間違いないという話をしてきたが、聞いた人の反応はさまざまだった。知ってもらえるだけでもありがたい・・・今の世の中ではそう思って生きていくしかない。
(緑:小3男児の母)
2年前の5月7日、音楽教室で3年同じグループだったY君のママが亡くなった。その2週間前のレッスンの帰り、息子が先に走って行ってしまい、ろくに話もせず、挨拶もなしで別れてしまった。帰宅後、届いたメールに「また12日ね。」と書いてあったが、まさかもう会えなくなるなんて当然だが予想もしなかった。
亡くなった翌日のお通夜には一人で行った。お葬式にももちろん一人で行くつもりだったが、息子が「僕も行きたい。」と言い出した。当時、小1になったばかりの息子は、学校でも落ち着きがなかったので、私は正直言って連れて行きたくなかった。しかしどうしても行きたそうなので、「座って静かにする、大声でしゃべらない、笑わない」と約束して連れて行った。
葬儀場に入ると息子は周りの雰囲気に何かを感じたらしく、私の傍を離れようとしなかった。私は少し安心した。せっかく自分から行きたいと言って来たので、お焼香も一緒にやらせた。そしてあっという間に、出棺前の最後のお別れになってしまった。棺の中の冷たくなったY君のママの頬に一緒に触れて、さよならを言った。
Y君親子とは音楽教室の2年目から親しくなり、Y君のママはいつも息子の事で悩んでいる私を心配してくれていた。お互いの息子が電車好きなので電車の話をしたり、何度か一緒に出かけたりもした。これからもそんな付き合いがずっと続くものだと思っていた。
あれから2年・・・年に3回ほど息子と二人でお墓参りに行っている。息子はいつも、「Y君のお母さん、生き返って下さい。」と手を合わせている。もう生き返ることはないけど、きっとどこかで私達を見守ってくれていると信じている。
                                       (緑:小3男児の母)
早いもので息子は3年生。毎年始業式から半月ほどの間、担任の先生
に息子の事をどう説明しようかと悩む。説明なのだから要求になっては
いけない、先生に不安ばかり与えてはいけないなど色々と気を遣って
いるつもりではいるのだが、過去には説明不足で他の子どもができて
いるのに息子はできなかったという事を細かく言われて辛かったが、そ
の度に私は先生にも息子にも本音でぶつかり、話し合い、協力してど
うにか切り抜けてきた。
今年もまたその時期がやってきて私はドキドキしていたのだが、去年
は隣の組の担任だった先生の組になったと始業式当日、息子は大喜
びで帰ってきた。休み時間にも一緒に遊んだ事が何度もあるらしく、素
の息子を知ってる先生ならまずは安心だなと私もほっとした。
そして今年最初の懇談会の後、先生に話す緊張の時がやってきたが、
「何かあれば何でもおっしゃって下さい。」との先生からの言葉に「わか
りました。」ではなく私は、「先生のやり方で上手くいかなければ一緒に
考えて行きたいと思っています。」と答えた。毎年、発達障害の息子を
受け入れてもらえるのか心配でたまらなかったが、前号に書いたよう
に色んな先生が息子を見守ってくれている、息子もそんな中で頑張っ
ていると思うと私の気持ちの中に少し余裕が出てきた。
もう以前のように息子を怒鳴りつけ、手を上げていた私には戻りたく
ない。失敗は大目に見て、できたら褒めるを心がけて行きたいと思う。
私自身が息子の成長を妨げないように・・・。

                        (緑:小3男児の母)
3月の終業式は、息子の大好きな先生とのお別れで悲しい一日となっ
た。1年生の時の担任の先生、2年生の担任の先生、そして学校は違う
けど、通級指導教室の先生。入学当時はなかなか学校生活になじめず
、学校からの電話に怯える毎日だったが、先生方に見守られ息子は何
とか落ち着いてきた。これからも息子をよく知る先生がいると安心だと
思っていたのに残念でならない。
終業式と同日に離任式もあったので、私は用事を済ませてから学校へ
向かった。離任式が終わった頃に間に合ったのだが、同じクラスの子ど
も達から息子が担任の先生に花束を渡したと聞きビックリ。先生に会っ
て尋ねてみると、「私がお願いしたんです。」と・・・思わず涙が出てしま
った。たくさん迷惑をかけたのに、息子は先生に愛されていたんだなぁ
と思うと本当に嬉しかった。
発達障害は親の私でも理解に苦しむところがあるが、最近は学校の先
生にも理解が広がってきてありがたく思う。周りの子ども達や親達にも
少しずつわかってもらえていくと、私達も障害を受け入れて生きていける
ようになるだろう。
                     (緑:小2男児の母)
2月末に息子の誕生日を迎えた。今年は今までよりも成長の喜びを
感じられた日だった。それは息子に関わっている人にも恵まれて
きて、私が息子の今持っている能力の範囲でできることを頑張れば
いいと思えるようになってきたからだと思う。
息子の発達に疑問を持ち始めたのが生後6か月の頃。1歳の誕生日
も私には喜びの日ではなかった。その頃には勝手にあちこち歩き回
り、目を離すとどこで何を仕出かすかわからない状態だった。ベビー
カーに乗ってくれる時期はまだよかったが、2歳を過ぎて乗らなくなっ
てからはもっと大変で、買い物へ行くのも外遊びも常に目を離せず
毎日私は疲れ果てていた。その後も発達のばらつきは年々目立っ
てきて、まだあれもできない・・・これもできない・・・と周りの子どもと
比べてはいけないと思いながらも比べてしまい、発達の遅れている
部分にがっかりしていた。誰にも相談できず、どうしたらいいのかわ
からず、息子のできないことや失敗を何度も怒鳴ったり叱ったりもした
。息子には悪いが、誕生日は嬉しい日ではなかった。
そういえば、保育園の先生がいつも「ありのままでいい」とおっしゃっ
ていたが、焦りや不安でそんな風に思えなかった。やっと今、少しず
つその言葉を受け入れられるようになってきた。息子だけでなく、私を
支えてくださる人々にも感謝している。さて、来年の誕生日までに息子
がどんな成長をしていくのか楽しみだ。
                         (緑:小2男児の母)
毎年7月と12月は小学校の個人面談がある。面談はいつも気が
重い。1年生の時は生活態度の細かいところまで指摘された。先
生が心配をして指摘して下さっているのはわかっているが、人一
倍気にする私はその度に落ち込んで悩んでいた。しかし、2年生に
なってからは息子も学校生活に慣れてきたからか、先生からは「頑
張っていますよ。」と言ってもらえるようになった。でも私は、それが
本当なのか不安で仕方がなかったが、夏休み前の面談では色々
と息子を褒めて下さった。素直に嬉しいと思ったが、まだ信じていな
かった。
そして12月の面談。いつものように怯えて行ったが、「よく頑張って
いますよ。」とおっしゃっていた。息子が頑張っているのは本当だった
とやっと信じられたのと同時に、息子には悪かったなと反省した。帰
宅後、息子を今までの分も褒めた。
しかし、これで息子に何の問題がなくなったのではない。「発達障害」
である事には何の変わりもなく、またこれからも障害と付き合って
行かなければならない。成長過程で自然と身に付くはずの事が欠け
ている子どもだから。
年末に関西の実家へ帰り、私の母と息子がお年玉の話をしていたが、
息子は「お年玉って何?」と言っていた。毎年もらっているのにこんな
調子である。

(緑:小2男児の母)
 うちの息子はどこでも動き回ってばかりで大変だったが、動く=運動
が得意ではなかった。自転車には補助輪なしでまだ乗れない、鉄棒で
は逆上がりができない、縄跳びはほとんど跳べない、ボールは上手く投
げられない、水泳では顔を水につけるのがイヤ・・・。中には学校から指
摘されるものもあって、どれも少しは教えてみたが息子はやる気がほと
んどなく、私もイライラするばかりなので練習が続かなかった。
 でも今年は、自分の中で「水泳を頑張ろう!」という気持ちが芽生えて
、ひそかに努力していたらしい(申し訳ないが、私はもう水泳はあきらめ
ていた)。普段は学校での出来事を報告してくれない息子が水泳の授
業が始まってからは、「今日は顔を水につけられるようになった。」とか
、「今日は浮くことができた。」などと報告してくれるようになった。そして
9月の最後の授業では、バタ足ができて少し泳げるようになったそうだ。
この頑張りには私も驚き、嬉しくて一緒に喜んだ。
 しかしこの喜びもつかの間、今度はボール運動が下手だと学校から
指摘されてしまった。言われた日は家で練習をしたが、やっぱり何日も
続かない。私がうるさく言ってしまうのも悪いのだけど・・・。できないより
できる方が息子にとって良いのはわかっている。でも、自分で頑張ろう
と思えるようになるまで待ってやってもいいのかなぁ・・・、放っておいて
高学年になっても下手だと息子が困るかなぁ・・・、などと私も色々悩む
ところだが、焦って練習させてもまた息子に嫌な思いをさせてしまうの
で、今はそっとしておこうかな。

(緑:小2男児の母)